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窓に頬杖をついた七代が、溜息を吐いた。悩める様子に「どうしたんだよ」と燈治が声をかける。
「バカみてえにのんきな奴がらしくねえな。悩み事があるなら、相談に乗るぜ?」
「壇……」
七代は心配してくれる燈治に、くすりと笑みを零した。
「ありがとう」
「いいってことよ。俺とお前の仲だしな。で、何悩んでるんだ?」
「……実は」
七代は指貫手袋を嵌められた右手をじっと見つめる。その下には隠者の刻印が刻まれていることを思い出し、燈治はやるせない思いになった。七代は普通なら持ちえぬ力を有している。それ故に、傷つくことがあったんじゃないか。燈治の身体が無意識に七代へ傾けられる。俺にやれることがあるなら、してやりたい。
燈治の考えを裏付けるように、悲しく瞼を伏せた七代は左手で右の手をそっと摩った。
「おれ、どうしたらいいのかわからなくて」
「千馗」
「おれ……」
七代は握り締めた両手を窓の桟に叩きつける。
「蒐のこと、頭撫でたいのに撫でれないんです……!」
「…………は?」
燈治の眼が、点になった。蒐の頭が何だって?
「……なでりゃあいいじゃねえか。お前、そんなことで悩んでるのか?」
「そんなこと? そんなことってそんなことですか? そんなことでもおれは真剣に悩んでいるのに……!」
「そんなことそんなことって連呼すんな」
「わかってない。壇は何にも分かってない」
七代は燈治を睨み、熱く語りだす。
「可愛い後輩は猫かわいがりしたいじゃないですか。頭とか、よしよしーってしたいじゃないですか。でも蒐は紙袋被ってるじゃないですか。紙袋は脆いの、撫でたらすぐぐちゃってなるの。分かる? 分かるよね?」
「ああ、まぁ、な」
濁点ごとに迫ってくる七代に気圧され、燈治はかくかくと首ふり人形のごとく頷く。ここで余計な口を挟んだら、三倍になって跳ね返ることを燈治は知っていた。伊達にこいつの素っ頓狂な言動に一番長く付き合ってきた訳じゃない。
「蒐が四角を好むなら、あいつの被ってる紙袋をぐちゃってしたくないんです。四角じゃないってしょんぼりされたら、おれもしょんぼりしちゃいますし」
「……」
どこから突っ込めばいいんだろうか。燈治は行き場のない手を軽く振る。とりあえず、全部に突っ込みたい。
「でも、撫でたい。撫でたいんです! あんな可愛い後輩可愛がれないなんてどういうことですか!?」
震える右手首を左手で掴み嘆く七代に燈治は「俺に聞くなっ!」と喚いた。
「ああっ」と大げさに七代はふらふらよろめき、燈治から離れて涙を拭うしぐさを見せた。
「壇は冷たい。おれの悩みを聞いてくれるって言ったのに。一緒の風呂に入った仲なのに……」
不機嫌に七代が唇を尖らせる。どっと疲れが押し寄せて、燈治は頭を押さえた。
「……お前がそういう素っ頓狂なことをしなかったら、もっと真剣に聞いてやる。それに蒐の紙袋が気になるんだったら、本人に聞いてみりゃいい話だろ。ほれ、あそこ」
肩越しに燈治が立てた親指で差した先を七代が眼で追う。教室の出入り口から、そっとこちらを覗き込む四角の角が見える。
「蒐?」
七代が呼ぶと、角はぴくりと震えて扉の向こうに隠れてしまった。しかし、気を取り直したかのようにまた現れ、ゆっくりと出てくる。
「千馗、センパイ」
大切な四角がたくさん収められたファイルで口元の辺りを隠し、七代の前に立った蒐が「あのね」と小首を傾げた。
「センパイが僕を撫でてくれるの、四角い、よ」
「えっ?」
「確かに、この袋はぐしゃってなって、四角くなくなっちゃう、けど。センパイに撫でてもらえないほうが、三角、かな」
「そ、それって、蒐の頭撫でていいってこと?」
照れているのか、俯きがちになる蒐の顔を覗き込み、七代が訊いた。
「うん」と僅かに、でも確かに蒐は頷く。
「センパイが僕を大切にしたいって気持ち、とても、四角い。四角いのなら、僕は、大歓迎、だよ」
「……蒐っ!」
感極まった七代が、人目をはばからず両手を大きく広げ、蒐を抱きしめた。一足飛びの行動に「おい、千馗っ!」と燈治が声を荒げる。
しかし七代はお構いなしだ。ぎゅうぎゅうに蒐を抱きしめ、今まで出来なかった分、蒐の頭を撫でる。がさがさと紙が擦れる音がしたが、蒐の口からは一つも文句が出てこない。
「かわいいなぁ、蒐はかわいいなぁ! また今度、一緒に四角を探すたびに出ような!」
「うん。センパイが一緒なら、どこでだって、いい四角、見つかるよ。だってセンパイがいい四角そのものだもの」
「――蒐!」
思いがけない言葉に、感極まった七代は「蒐も四角いですよ!」と笑いながら蒐の頭を撫でる。被っていた紙袋は、もうすっかりでこぼこになっていた。
でも。
「……ま、いいか」
その様子を見て、燈治は七代を止めようと伸ばした手を戻した。
燈治からは紙袋を被っている蒐がどんな表情をしているのかわからない。しかし、なんとなく、とても嬉しそうな顔をしているんじゃないかと思い、二人の様子をそっと見守った。
蒐かわいいよ蒐
俺が間違っていた。あんな目先の利益に釣られて。よくよく考えれば、過ちを犯さずにすんだのに。
いつだって俺は、事の重大さを後で思い知る。
「……千馗。お前はいったい何をしたいんだ?」
放課後の家庭科室。しっかり鍵をかけられ、壁際に追い詰められ、逃げ場を失った燈治は、目の前に立ち塞がる七代を苦渋に満ちた目で見上げる。
七代は不敵に笑っている。勝ちを確信した肉食獣の笑みだ。
「俺にこんな格好させて……楽しいか?」
「はい。楽しいです」
そして直ぐさま打ち返される返答。淀みない口調に、燈治は歯を食いしばった。
「……」
七代の口元がたわむ。ゆっくりとしゃがみ、燈治の頭からつま先まで舐めるように見渡す。
「だって、壇に女装とか、見た目からして似合わなそうで笑えますよねぇー」
「……テメエ、覚えてろよ」
苛立ち混じりに燈治が蹴りを繰り出した。スカートから伸びる足は、しかし身を捻った七代に軽く避けられてしまう。
くそ、と燈治は唸った。無理矢理はかせられたスカートが妙に纏わりついて気持ち悪い。上半身のセーラー服も、肌に慣れない生地が居心地の悪さを存分に発揮してくれている。
カルパタルの秘伝カレーを味わらせてあげるから、だなんて分かりやすい交渉に引っかかってしまった己を、燈治は呪う。まさか七代から出される要求が女装して、だとは露とも思っていなかった。
「うん。覚えてる」
笑いを堪え、七代が歪んだスカーフを整える。
「だって、こんな面白いこと、忘れるわけないじゃないですか」
ぷぷぷぷ、と今にも笑いが爆発しそうな堪え方に、燈治はいっそがら空きの脇腹に一発当ててしまいたくなる。卑怯だから、しないけど。
憮然としている間に、七代の手は忙しなく、燈治を変えていく。
「えっとあと、足の毛を剃って化粧して……」
「そこまでするのか? 服だけでも十分だろ」
寧ろそこまでにしておいてほしかった。心からそう思う燈治に、七代は容赦ない。両手で燈治の顔を軽く仰向けさせ「はい眼を閉じて」と指示を出す。
「本気で、化粧すんのか?」
「はい、おれは努力を惜しまない男ですから。それは壇を女装させることについても同じ。妥協、したくないですし」
「妥協しろよ……頼むから」
まだ化粧とかしないでおけば、笑いを取るだけですむのに。ここまで真面目にされたら、人によっては引かれてしまうこと間違いなしだ。
「はいはい。分かったから眼を閉じて、じゃないとマスカラ眼にぶち込むから」
棒状のものを持った七代の手が、目前に迫る。燈治は全てをあきらめ仕方なく目を閉じた。
数分後。出来上がった燈治の女装を見て、七代が一言呟いた。
「……うん。分かっちゃいたけど、似合わないですねー、全然」
憮然と椅子に座る燈治を七代が腕組しながら顔を近づけ、じろじろと見回す。
「胸囲だけ見ればかなりおっきいのに、他のところも筋肉とかあるから」
「……で? 感想は?」
じろりと似合わない化粧をされた燈治が、七代をねめつけた。
うん、と七代は頷き真顔で答える。
「正直、すまんかった。もう馬鹿なこと言わない」
「……まあ、分かってくれただけでもありがたいと思わなきゃいけないんだろうな」
深く深くため息をつき、燈治は肩を落とした。これで七代も満足しただろう。燈治は「脱ぐからな」とまずは頭につけられたウィッグに手をかけた。
「あ、待って。写メ撮らせて」
七代が、女装を解こうとする燈治を慌てて止めて携帯を取り出す。
「何でそんなの撮るんだよ」
こんなの、末代までの恥だ。顔を顰める燈治に「壇だって、こっそりおれの撮ってたくせに」と言い返した。
「壇は撮って、おれは撮れないとかずるい」
「…………」
燈治は口をつぐんだ。こっそり撮ったつもりなのに、しっかりばれてしまった事に、内心動揺する。
黙ってしまった燈治の姿を、意気揚々と七代は携帯に収める。いいアングルを探しているのか、立ち位置を何度か変えて、繰り返しシャッターを切った。
「うん。撮れた」
ようやく満足した一枚が撮れたらしい。これも青春の一場面、と画面を見つめる七代の表情が綿飴のように甘く崩れる。
「……」
「似合わないなぁ……」
えへへへ、と幸せそうに笑う七代に、燈治の胸はじんわりと熱くなった。些細なことだろうに。七代は小さなこともとても大切にする。
燈治は無言でウィッグを掴んで外した。有無を言わさずつけられた口紅が邪魔で、手の甲で乱暴に拭う。
「千馗」
燈治は紅のついた手で七代の肩に触れて引き寄せた。さっき七代が己にしたように顔を上げさせ、無防備な唇に自分のそれを落とす。
「……」
「……」
「……」
「……何か、女装の男からこんなことされるのって、変な感じ」
離れた唇を押さえた七代は、照れたように眼を伏せた。仄かに頬が赤くなっている。
「奇遇だな。俺もだ」
言いながら、燈治は七代の肩を押していく。重心が傾いた七代の身体は広い机の上へと横になる。
形勢逆転、眼を見開く七代を組み伏せ燈治は思った。これで逃げ場をなくしたのは俺じゃない。千馗のほうだ。
「ちょ、ちょちょっと燈治さん? 眼がマジなんですけど」
「マジだから仕方ないな」
「うん、それは今までの経験から嫌ってほど知ってるよ。知ってるけどね。せめて、女装解けばいいと思うんだけどな。それからでも、遅くないんじゃない?」
必死に言いつくろう七代の様子が面白くて燈治はつい笑ってしまう。こっちも七代に付き合って、したくもない女装をしたのだ。これぐらいしたっていいだろう。
だから燈治は七代の耳元で呟く。彼が弱い重低音を響かせるように。
「どうせ今から脱ぐんだからいいだろ。な……千馗」
吹き込まれた囁きにびくりと身体を震わせた七代は「くそ」と呟きながらも、燈治のほうへと手を伸ばした。
お邪魔したチャットで女装壇を引き当てた結果がこれです。
多分七代以上に似合わないよね、壇は。
「わー、カナエさーん」
ドッグタグに来るなり奥から走って出迎えてきたバゼットハウンドに、七代は破顔して床に膝をついた。広げた両手目掛け、カナエさん、と呼ばれたバゼットハウンドは七代の胸に飛び込み、盛んに尻尾を振る。
今日も懐かれてるな。
七代に続いて店内に入った燈治は、熱烈な歓迎を後ろから眺める。精一杯身体を伸ばし、ぺろぺろと頬を舐めるバゼットハウンドに「ははっ、くすぐったいよ、カナエさん」と笑う七代に、燈治の頬も自然と綻んだ。
「……お前か」
笑う声に、澁川が奥のキッチンから出てくる。
「マスター、お邪魔してます」
ぺこりと頭を下げる七代に、澁川の眼が柔和に細まる。
「……いつもの、だな」
「はいっ、お願いします」
「俺もいつものを」
明るく頷く七代の言葉尻に乗って、燈治が注文を付け加える。澁川は「わかった、好きなテーブルについていろ」と言い残し、厨房へと戻った。
「へへっ……。マスターのコーヒーとフレンチトースト……。なんて贅沢な一時だろう」
バゼットハウンド――カナエさんを抱き上げ振り向いた七代は、弾んだ声で「どこに座りましょうか?」と燈治に尋ねた。
「そうだなぁ――」
店内を見回す燈治の耳に「ここが空いているよ、千馗くん」と秀麗な声が聞こえてくる。そうだった、ここはアイツもいる可能性が高かったんだ。小さく舌打ちして燈治は嫌々カウンター席に眼を向けた。
「あ、絢人」
「やぁ、今日も元気そうで何よりだね」
優雅な仕草で持っていたカップをソーサーに戻し、カウンター席で絢人が七代に笑いかける。こっちに来ないかい、と手招きを受け、七代が「じゃあ、お邪魔しようかな」とカナエさんを抱えたまま移動する。
面白くないのは燈治だ。七代の腕の中にいるカナエさんはもちろん、澁川やここにはいない輪はいいのだが、絢人は油断ならないと判断している。絢人は七代に好意を持っているのは明白だ。恐らくは――自分が七代に向けているものと同等の。
「……おい、こっち忘れてるだろう。お前」
頭をがしがしと掻きながら、燈治はすかさず絢人に釘を刺した。ほっといたら、こっちがおいてきぼりにされかねない。
「おや」とわざとらしく絢人が燈治を見て驚いた振りをする。
「すまない。あまりにも視界の端にいたから気がつかなかったよ」
「……」
嘘つけ。言外に批難を込めて燈治は睨むが、絢人は素知らぬ顔だ。わかっててやってるんだろう。
不機嫌に睨む燈治と、涼しく笑う絢人の間に火花が飛ぶ。
「あ、壇はこっちに座ったらどうですか」
頭上を飛び交う火花に気づかず、七代が絢人とは反対側のスツールをぽんぽんと叩く。
「……」
無言で燈治は七代の隣に座った。相変わらず絢人は笑っている。カウンターにもたれかけ「今日も洞探索するのかな?」と七代に聞いた。
「ううん。今日はしないんですよ」
「ああ、そうなのかい。残念だな……。出来るなら君の手助けをしたかったのに」
「うん。おれもお願いしたかったけど……」
ちらりと七代が燈治を横目で見た。
「壇に今日は止めろって言われちゃって」
「ったりまえだろ」
不満を口にする七代の額を燈治は指で弾くように軽く小突いた。
「お前は無茶しがちなんだ。また体調崩したらうるさいのがいるだろ」
「それはそうですけど」
「それにちゃんと見てなきゃ飯だって満足に食べないからな。こうして俺がちゃんと見てねえと」
「うう……」
小突かれた額を押さえ、七代は「壇がひどいよカナエさーん」と抱えているカナエさんに嘆いた。きょとんと見上げるその頭に頬を擦り寄せ「おれは早く花札集めようと頑張っているのに」と隣の相棒に文句を呟く。
「どっかの誰かさんがおれに無駄遣いさせようとしてるんだ……」
「ほぉ、何処の誰だか言ってみろよ」
「もーわかってるくせに!」
むっと七代が声を荒げた。抱きしめる腕に力が篭り、カナエさんが、きゅうん、と鳴いてもがく。
「わっ」
七代の腕からカナエさんが逃げ出し、奥へ走り去ってしまった。呼び止めかけた手が、ゆっくり下ろされる。
「逃げられた……。もー、壇がヤなこというから」
「俺は当然のことを言ったまでだぜ」
壇が七代の腕を取り、周りを計るように掴み直す。
「大体、お前は細すぎるんだ。ちっとは食べないと、参るのはお前なんだからな」
「……ふふっ」
大人しく二人のやり取りを見ていた絢人が不意に笑った。終わらないやり取りをしていた二人の眼が同時に絢人へ向けられる。
「いや、すまない」と絢人は緩んだままの口許を左手で隠し、右手を軽く前に出す。
「僕のことはいいから気にせず続きをしてくれて構わないよ」
「い、いや、そんな訳にはいきませんって」
七代は知らず壇の方へ向けていた身体を、慌てて元に戻した。
「せっかく隣に座ってるんですし、会話においてきぼりでいいとかなしです」
「君は優しいね。……でも」
絢人は意味深な笑みを七代の横――燈治に投げた。
「壇は君の優しさを僕に向けるのが不服みたいだね」
「……え?」
戸惑い七代は燈治を見遣る。反射的に視線を反らす燈治に、眉を寄せ、どういうことか、と首を捻る。
「残念だけど、これは僕からの口じゃ答えられないかな」 絢人が諸手をあげて、ゆっくり首を振った。
「報酬を、と言っても君は僕を殴ってくれないだろうし。その前に壇から殴られそうだ」
「壇の場合は報酬にならないんだっけ?」
「僕が殴られて楽しいのは、女性や――君のような美しい人だけさ」
「お、おれを美しい人に入れるのは無理があると思いますけど」
困惑して首を振る七代に「その困ったような表情も美しいね」と絢人は追い打ちをかけた。さらに七代の眉が寄り、燈治を振り向く。
和みかけた空気が、また緊張を孕む。
「お前な――」
七代を困らせる絢人を諌めようと、燈治が口を出しかけた時。
「――やっぱり千馗サンだっ!」
扉が勢いよく開いて、騒々しくまたドッグタグの常連客が飛び込んできた。揺れる帽子を手で押さえ、見つけた千馗の背中に突撃する。
「わっ」と後ろからの攻撃に、千馗はカウンターに手をついて、衝撃に耐えた。絢人の眼がやってきた賑やかさに細まり、燈治が驚いて腰を浮かす。
「……輪、千馗くんがいて嬉しいのはわかるけど、そんな風にぶつかったら危ないだろう?」
やんわりと注意する絢人に、一瞬言葉に詰まった輪が頬を赤らめ反論する。
「う、うるさいっ! いいだろ、嬉しかったんだからっ!」
「はいはい。マスターに怒られない程度にね」
「……千馗サン、あっち行こうっ」
ぐい、とベストを引っ張る輪に素直に七代が頷き「ちょっと行ってきますね」と席を立つ。七代は子供に弱い。燈治も輪なら大丈夫だろうと浮いていた腰をスツールへ戻した。
真ん中が空席になったカウンターの一角。燈治のところだけ、妙に空気が緊張している。それを知っているだろうに、絢人が先に沈黙を破った。
「……君は美しくないけれど、面白いひとではあるね」
「どういう意味だよ」
「母親の如く面倒見がいいかと思えば、千馗くんに近づく輩には彼を護る忠犬のように牙を向ける。君としては相棒のように彼を守ってるつもりなんだろうけど」
カウンターに置いた両手の指を組み、愉快に口許を上げ絢人は笑う。
「君の嫉妬は、きちんと彼に愛を告白してからするのが筋じゃないかい?」
「――!?」
痛いところを突かれ、燈治が硬直した。
絢人の言葉通り、燈治は七代に想いを伝えてなければ、向こうがこちらを本当はどう思っているか知らない。ただでさえ、七代の周りには自然に人が集まる。いつ誰かに七代の隣を取られるのかと思うと、気が気でない時だってある。
「まあ、君がそのまま言わないのならそれでも構わない。だけどあまりもたついて誰かに取られても、僕は知らないよ」
涼しく言う絢人に「……余計な世話だ」と苦々しく燈治は吐き捨てた。そんなの自分がよく認識している。
「……出来たぞ」
厨房から出てきた澁川が、七代と燈治の注文を持ってきた。甘い匂いに輪に連れられていった七代が歓声を上げる。僕も一緒の頼むからここで一緒に食べよう、と輪が言っているのが聞こえた。
「ほら、さっそく輪に取られたね、千馗くん」
面白そうに笑う絢人を「……うるさい」と燈治が睨んだ。
「……カレーだ」
ささくれ立つ燈治の前に、澁川が出来立てのカレーライスを置いた。続けて隣に頼んでいないコーヒーを添える。
怪訝に見上げる燈治を、澁川は「奢りだ」慰めるように言った。
自分の気持ちが第三者にことごとく見透かされている現状。本人が気づくのはまだまだ先の話になりそうだと燈治は肩を落とした。
「ま、遠くから応援してはあげるから」
「……いらねーよ!」
それこそ余計なお世話だと吐き捨て、燈治はがぶ飲みすべく奢りのコーヒーに手を伸ばした。
じっと見つめる視線が刺さる。教室で燈治は食べかけていたパンを下ろした。
七代もその手の動きに合わせて、視線を下ろす。物欲しそうな目。燈治は瞬時に状況を理解した。
「……お前、また昼メシがチョコだけとは言わねえよな?」
「失敬な。ちゃんとチョコ以外のものも食べましたよ」
「……何だよ、それは」
真実味がない返しに、燈治はつい尋ねた。でも嫌な予感しかしない。
「校長室から取ってきたうまい棒と進路指導室から取ってきたおつまみイカを」
「馬鹿、それはチョコだけ食ったのとあんまり代わり映えしねえだろ」
全て駄菓子で構成された昼食に、燈治は呆れる。
仕方ないんですよ、と口を尖らせ七代は力無い声で反論した。
「今、欲しいものがあって、それがとても高いから……」
「だからって食いもん我慢してまで金を貯めるかよ、この馬鹿」
「こっちは真剣なんです。洞探索を有利にするためなんですから。馬鹿馬鹿連呼しないでくださいよ」
「馬鹿に馬鹿って言って何が悪いんだよ、馬鹿」
「…………」
恨めしそうに睨む七代に、しょうがねえな、と燈治が溜息をついた。持っていたパンを一口大にちぎり、七代の口許へ運ぶ。
「食えよ。少なくとも駄菓子よりは腹の足しになるだろ」
「……ありがと」
七代は口を開けて、燈治が持ったままのパンを食べた。甘い味が、口に広がっていく。
「メロンパン。甘いの苦手じゃないんだっけ?」
「今日は出遅れて欲しかったのが買えなかったんだよ。ほら、口開けろ。もうちょっとやるから」
またちぎられたメロンパンが七代の口許に寄せられる。最初よりも大きくちぎられたそれを、七代はさっきより大きく口を開けて――。
「っておい、俺の指まで食うなっ!」
「指まで甘いですねぇ」
「メロンパン持ってんだから当たり前だろ。ほら今度は食うなよ」
「はーい」
「…………」
「どうしたの、巴?」
固まる巴に、弥紀が不安そうに言った。
「う、ううん、何でもないわ」
不思議そうに尋ねる弥紀に慌てて首を振り、そして小さな声で呟く。
「私は何も見てないわよ。何も」
弥紀からは見えない位置だったのがせめてもの救いか。この純真な親友に後ろで起きてるやり取りなんて見せたくない。ついでに自分もなかったことにしたい。
でも燈治はそのまま手渡せば済むメロンパンをわざわざちぎって食べさせて。浮かべる表情も甘ったるいことこの上ない。
「まったく……やるんだったら、人目のないところでやってちょうだい」
「…………?」
頭を押さえてぼやく巴に、弥紀が首を傾げた。
特記事項 二人とも素でやってます
七代千馗と言う男は浪費が嫌いらしい。可能な限り買い物は控えるし、使えるものは何でも使って、節約していく。
揚句に初動調査に貰えるモノは多い方がいい、と鴉乃社学園の制服支給を断り、その分の代金を懐に入れたらしい。七代の上の服装が常にカッターシャツとスクールベストなのはそのせいか、とその話を聞いた燈治は感心するよりも呆れた。寒い冬場に薄手の格好。風邪をいつひいてもおかしくない。
ただ七代も厳しい冬の寒さは身に染みているらしい。時たまこんなことが起きる。
珍しく遅刻をせずに教室に入った燈治は、ふと後ろに殺気を感じた。
すかさず上体を捻り、こちらに突進してくる標的を捕捉する。そのまま横に移動しながら身体ごと後ろへ向き直り、手を前に出す。
「おはようございま――うわっ」
両手を大きく横に広げ飛び込んでくる七代の頭を、燈治は手で押さえた。
「いきなり、何するんですか」
「こうしなきゃお前が抱き着くからだろっ」
むくれる七代に、燈治は押さえ付ける手から力を抜かないまま言った。まだ七代はこちらに向かって力をかけている。ここで手を離したら、あっという間に距離を詰められてしまうだろう。
「いいじゃないですか。友情を深めあいましょうよ」
「友情を深めんのに、隙を見て抱き着くとかはねぇだろ!」
「だって寒いですもん!」
「ジャージ持ってるだろ! それでも着てろ!」
「忘れました!」
「お前なぁ!」
ぎゃあぎゃあ教室内に騒ぐ二人の声が響き渡る。嫌がおうにもクラスメートの視線を集めてしまい、燈治はもう帰りたくなってきた。
七代が転校してきて知り合ってから数週間の間、どれだけ不意打ちで抱き着かれてきたか。最初はやられていた燈治もだんだん七代の気配を察知し、こうして阻止する成功率も徐々に上がってきている。
朝から気力を削がれ、はあ、と溜息をついた燈治は往生際の悪い七代に対し口を開いた。
「俺に抱き着いて暖を取ろうとすんな。寒いなら上に何か羽織れ」
「えええ、だって面倒臭――じゃなくておれは壇ならその広い胸で受け入れると思ったから」
「嘘つけ。今お前面倒臭いって言いかけただろ。聞こえてるぞ」
「――ちっ」
「だからってあからさまな舌打ちすんな」
再び燈治の口から溜息が零れる。このままだと七代は引き下がらないし、こちらも腕が疲れてきた。
燈治は真っすぐこちらに向けてくる力を受け流すように、七代を押さえていた手を横へ流した。突然緩んだ力に「おわぁ」とよろめいた七代が、つんのめり転びかける。
七代の攻撃をかわした燈治は教室後ろにある自分のロッカーから、ジャージを取り出して投げた。体勢を整え「何するんですか。危ないじゃないですか」と怒る七代の頭にそれが覆い被さる。
「それでも着とけ。ちったぁ寒くねえだろ」
「……」
手を伸ばし頭を覆っていたジャージを取った七代は、まじまじとそれを見る。無言で着込み、チャックを上げた。身長はそんなに変わらないが、七代のほうが細いせいでぶかぶかに見える。
「……壇」
余った袖を折り曲げて、七代が壇を見た。
「これ、汗くさいけどちゃんと洗濯しましたか?」
「は……?」
昨日体育があってロッカーに突っ込んだままだから、確かに洗濯していないけども。
「何か壇の匂いがする」
「――――っ!?」
言われた言葉がことんと壇の中に理解として落ちる。ふふふ、と襟元を鼻に埋める七代に顔が赤く染まった。
「お、ま、――そんなこと言うんだったら脱げっ! 返せっ!!」
「やーですよー」
今度は燈治から伸びる手をひらりとかわし、七代は舌を出す。
「ではでは、ありがたくお借りしますね」
あはははは、と笑い声を残し、さっさと教室を出ていった。入り口で入れ違いになった弥紀に「穂坂さん、おはようございます」すれ違い際に挨拶する。
「七代くんおはよう。――壇くんもおはよう」
「おう」
「今日も朝から仲良しだね」
花が綻ぶように笑う弥紀に、燈治は「穂坂はあれで仲良しって見えるのか?」と尋ねた。あれはどう見ても七代におちょくられている。
「仲良しだよ」
弥紀が断言した。
「それに壇くんがもし七代くんのこと好きじゃなかったら、話し掛けたりとかもしないと思うから」
「……」
図星を突かれ、燈治は複雑な顔で口を覆う。
そもそも燈治は教室の空気に馴染めない人間だった。家族を心配させまいと毎日登校しているが、教室よりも圧倒的に屋上で一人いる時間が多くて。教室に戻る度ちくちくと刺さるクラスメートの視線が思いの外痛かった。それは七代が来てからもあまり良くなる兆しはない。自分からそうなるようにしたのだから、仕方ないことだと燈治は割り切っている。
それでも教室にいる時間が増えたのも事実で。それを引き起こしている七代に影響されているのも肯定するべきだろう。クラスメートの視線も前より気にならなくなった。
全く七代千馗という男は、つくづく人の生き方を短時間で変えてくれる厄介な存在だ。燈治は少しずつ、だが確実に変化する己に苦笑する。
「……ま、そういうことにしておいてやるか」
肩を竦めて仲良しだということを肯定した燈治に、うん、と弥紀が楽しそうに笑った。
仲良し風味で。
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